ー THESPAKUSATSU GUNMA ー
THESPA HISTORY
沿革
2023
2月・赤堀 洋 代表取締役社長就任
2022
11月・Jリーグディビジョン2 20位
10月・第102回天皇杯全国日本サッカー選手権大会ベスト16
2月・石井宏司 代表取締役社長就任
1月・大槻 毅 監督就任
2021
12月・Jリーグディビジョン2 18位
12月・第101回天皇杯全国日本サッカー選手権大会ベスト16
11月・赤堀 洋 代表取締役社長就任
7月・久藤清一 監督就任
2月・森 統則 代表取締役社長就任
2020
12月・Jリーグディビジョン2 20位
2月・株式会社ザスパへ社名変更
1月・奥野僚右 監督就任
2019
12月・Jリーグディビジョン3 2位(J2昇格)
2018
12月・Jリーグディビジョン3 5位
2月・奈良知彦 代表取締役社長就任
1月・布啓一郎 監督就任
2017
12月・Jリーグディビジョン2 22位
1月・森下仁志 監督就任
2016
12月・Jリーグディビジョン2 17位
2015
12月・Jリーグディビジョン2 18位
1月・服部浩紀 監督就任
2014
12月・Jリーグディビジョン2 18位
2月・都丸 晃 代表取締役社長就任
2013
12月・Jリーグディビジョン2 20位
1月・秋葉忠宏 監督就任 (ザスパクサツ群馬初のOB監督)
2012
12月・Jリーグディビジョン2 17位
2011
12月・Jリーグディビジョン2 9位
2010
12月・Jリーグディビジョン2 12位
1月・副島博志 監督就任
2009
12月・Jリーグディビジョン2 10位
12月・植木繁晴 ゼネラルマネージャー就任(専任)
1月・佐野 達 監督就任
2008
12月・Jリーグディビジョン2 9位
2007
12月・Jリーグディビジョン2 11位
2006
12月・Jリーグディビジョン2 12位
8月・植木繁晴 ゼネラルマネージャー兼任
6月・代表取締役社長 大西忠生 逝去(6月29日)
1月・植木繁晴 監督就任
2005
12月・Jリーグディジョン2 12位
12月・第85回天皇杯全国日本サッカー選手権大会ベスト32
3月・J2開幕
1月・手塚 聡 監督就任
2004
12月・第84回天皇杯全国日本サッカー選手権大会ベスト8へ進出
12月・JリーグよりJ2昇格の承認を受ける
12月・JFL年間順位3位を確保
4月・JFLスタート
2003
12月・第82回天皇杯全国日本サッカー選手権大会初出場
11月・第27回全国地域リーグ決勝大会優勝。JFL昇格
10月・関東サッカーリーグ2部優勝
9月・群馬県サッカー協会長杯サッカー大会決勝戦において、群馬FCホリコシを3-0で破り天皇杯出場権を獲得
7月・同申請が満場一致で承認され、11月に開催される全国地域リーグへの出場資格を獲得
5月・日本サッカー協会へ「Jリーグ入りを標榜とするクラブに対する優遇措置」を申請
4月・関東サッカーリーグ2部 開幕
4月・2003年度の体制発表会
2月・株式会社草津温泉フットボールクラブ設立(ザスパ草津運営会社)
1月・図南クラブとの入替戦を1-1(PK3-1)で勝利し、関東サッカーリーグ2部昇格
2002
9月・群馬県社会人サッカーリーグ1部優勝
4月・草津町の賛同が議会で採択される
4月・草津温泉旅館協同組合の賛同が了承される
4月・チーム名を「リエゾン草津」から「ザスパ草津」に改名し、発足式を湯畑で開催
3月・小島伸幸がコーチ就任
2月・奥野僚右が監督就任
1月・再建へ着手。補強が始まる
2001
12月・関係者の紹介で大西忠生・植木繁晴・賢持宏昭の3名が草津町を視察
12月・選手が15名まで減少
10月・群馬県社会人サッカーリーグ2部優勝
・選手35名でシーズン開幕
2000
・群馬県社会人サッカーリーグ2部2位
・ラットコ・ステボビッチ監督が復帰し、選手18名で存続
1999
・地元サッカークラブの協力を得てチームは存続し、群馬県社会人サッカーリーグ2部に残留
・東日本サッカーアカデミーが閉鎖され、選手も4名まで激減
1998
・群馬県社会人サッカーリーグ1部 7位で2部に降格
・日本人監督 就任。専門学生以外の選手も加入が始まる
1997
・群馬県社会人サッカーリーグ2部 優勝
1996
・群馬県社会人サッカーリーグ3部 優勝
・生徒数25名に増加
1995
・リエゾン草津 監督に東邦チタニウム(当時JFL)のコーチだったラットコ・ステボビッチ氏 就任
・リエゾン草津 編成 群馬県社会人サッカーリーグ4部 登録
・群馬県サッカーリーグ4部 優勝
・サッカー東日本サッカーアカデミー 設立